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【トヨタ 86 発表】納期は最大で7か月待ちに

というニュースが今日は流れていましたね。車に全く興味はない人は何のことか分からないだろうけど「昔」を知る人にとっては複雑な気持ちだわね。
※「トヨタ86」とは1980年代に販売され「ハチロク」の愛称で若者に人気のあった古い車のコンセプトを現代風に焼き直したトヨタの新型車のことです。
実は私、この旧「ハチロク」を買おうとしてたことがあったんですよね。今日はそんな昔の車のハナシを少し。
時は大学時代、19歳で免許を取って親の大型RV車を借りては乗り回してた私。しかし、自分の車では無いので一人暮らしをして親元から離れると、そうそう借りることもできません。もちろん、お金持ちのご家庭や車が必須な地方なら「入学祝いで新車をプレゼント!」なんて豪勢な話もあるでしょうが、お祝いのカメラですら中古品だった我が家でそんな事が望めるはずもありません。まあ、ハナから期待もしてないので聞いてすらいませんが。。。
しかし一度車の便利さと楽しさを知ってしまうと、どうしても自分の車が欲しくなってしまい周りから情報を集め始めました。収入はアルバイトのみの学生ですから新車などハナから考えていませんので、中古車雑誌を読みあさり車を持ってる友だちに付き合ってもらって(車屋さんって基本的に車でしか行けない辺鄙なところにあるんですよね。。なので一台目は苦労する)中古車屋巡りの日々を続けました。
予算は車体価格で50万円(あと保険やら車庫やらで2〜30万円は必要)と決めて、予算と内容で決めたのがこの「ハチロク」でした。当時ですらとっくに新車販売は終了していて、すでに旧車臭がプンプンでしたが赤黒のツートンカラーの渋さに一目惚れでした。試乗してみたものの、車内はロールバーでジャングルジム状態だわ、LSDが交差点バキバキうるさいわ、マフラーはバイクのマフラーがついてるわでカリッカリに改造してあって全く乗りこなせる気がしませんでしたが、そんなヤンチャっぷりが気に入り帰ってその場で契約、ローンを組んで親に保証人のハンコもらえばOKのはずですた。でした。。 実家に電話して保証人になってくれと言うとなんと「いやや。あかん」ですと。なんですと! 買ってくれでも代わりにローンを組んでくれでもなく保証人を断られるですとー! 当時私はキレて何を言ったか覚えてませんが、ともかく「もうええ!おまんらにはもう頼らん!」と心に決めて車屋さんには詫びの電話と数万円の手付金を泣く泣く諦めました。。
それから1年後。アルバイトで貯めた現金数十万円を握りしめてめでたく車を購入する事ができたのです。その頃には某マンガの影響でハチロクの価格が全く割りに合わない暴騰をしていて、別の車を選びましたが初めてのマイカーが嬉しくて毎日乗り回してましたね。当時、ガソリン価格が今から思い出すと驚くほど安かった(現在の約半額)のでガソリン代は気にしたことは一度もなく、行けるところまでどこまでも海にも山にも雪にも車の旅を楽しんだものでした。
しかしそんな楽しい日々もそんなには長くは続きませんでした。今ほど駐禁やその他の交通違反に対して厳しくなかった時代に、小さな違反を繰り返してしまいなんと「免許取り消し」になってしまったのです。無知とは恐ろしいものです。しかし後悔しても免許が帰ってくるはずもなく、また免許がなければ車を持っていても仕方がなく泣く泣く知人にドナドナされていったのです。でも実はマイファーストカーが化けたこの現金こそが、数週間後に昨日書いたカメラ機材一式に化けることになるんですけどね。この一件がなければプロ用カメラを買うこともなく、この仕事についていなかったかもしれないと考えると、そういう運命だったのかもしれません。
サラリーマン時代はお給料も安く車を持つことは難しかったですが、フリーとなった現在はお金の問題ではなく絶対に必要です。よく言われるのが仕事上「車がない」と言うと東京だと「そう。じゃあ車を借りてください」と言われますが、大阪だと「ないの!? じゃあムリですね」となって仕事が流れることがままあるのですわ。それくらい大阪ではカメラマンに車は必須ですね。未だに新車を買ったことはありませんが、おかげで中古車の良し悪しやメンテのコツなんかもつかめるので悪いことばかりじゃないです。
元スバリストとしても86よりBRZだな
というわけでファーストカーから現在まで脈々と流れる一貫したコンセプトは「安くて楽しい車」です。その意味では今回発売された「トヨタ86」は「ハチロク」に比べると重いわデカイわ高いわで、当時の「ハチロク小僧」から見ると全く魅力的ではないんですわ。でも、納期が数ヶ月待ちになるほど予約が入るってことは意外とウケてるのかな。現代の「ハチロク小僧」の方向いて商売してないのは確かですけどね。
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カメヒス飛翔編

昨日のつづき
師匠の使っていた「Nikon F3」がカッコよすぎて自分の使っていたEOSがどうも霞んで見える。そこで大学受験を控えた私は父に大学合格の祝に当時のニコンのフラッグシップモデル「Nikon F4」を買ってくれるようにせがんで約束を取り付けた。父にモノを強請んだのは後にも先にもこれ一回きりだ。(と思ってる) しかし一浪の末、希望大学に合格したものの父は約束を果たさず「Nikon FA」というセカンド機を買ってくれた。しかもなぜか中古で。一浪していたので「約束と違う!」とは言えず、マイファーストカメラとして今でも家の棚の奥に眠っている。このFAは基本性能が高く非常に良くできたカメラでスペック的には全く不満はなかったので、せっせとアルバイトをしては趣味性の高いレンズを次々に買い足していった。
アルバイト三昧の生活でお金には困っていなかったものの、ある日アルバイト情報誌で「カメラマン募集」という衝撃の一文を発見してしまう。「アルバイトでカメラマンだと!?」その場で電話し面接を受け、所持機材を伝えただけで即合格になったのはいささか不安だったが、再び「写真にかかるお金は写真で稼ぐ」ことができると喜び、当時3つのアルバイトを掛け持ちしてムチャに稼いでいたのもいい思い出。そのアルバイトでは中判含む3台のカメラを使わなくてはいけなかったので、自分のFAはもちろん会社のF3やF801なんてカメラも使っていたが、慣れない動体撮影だったこともありマニュアルでのピント合わせに非常に苦労した。
数年経つとF3でも少しは撮れるようにはなったけど、いかんせん合焦率が低すぎることに悩んでいた。そのタイミングでアルバイト先の社員さんが「EOS-1N」をレンズ一式で売りたいと言ってきた。そしてなぜかそのタイミングで手元には一式を買える現金が余っていたのである。なんという偶然。この瞬間から今まで、個人機材は「基本的に」キヤノンである。
この辺りから気がついたら「カメラマン」になっていたので、以降のヒストリーは省略する。
つづきはまた。。
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カメヒス青春編

昨日の駄文で「絵が描けない」と言いましたが、小学校低学年の時からそのことは自認していて絵がヘタクソで恥ずかしい→絵を描くことを避ける→描かなくなるので余計にヘタクソにというループだったです。その代わりに?私の実家にはカメラが何台かありました。祖父が進駐軍から買ったというドイツ製の骨董カメラや父が業務上(カメラマンじゃないよ)かつて使っていた一眼レフなど。機械好きだった私はフィルムが入ってない一眼レフでよく遊んでたので、今日はちょっと私の個人的なカメラのヒストリーとカメラマニア的な話も。完全に個人的な思い出記録駄文なので無視してくださいな。
祖父の骨董カメラはともかく父の一眼レフは「PENTAX SP」といういわゆる大衆機でボロかったこともあり、小学生だった私が遊んでいても特に咎められることもなくいいオモチャでした。カメラのレンズを交換することによって一台のカメラがいろんな使い方ができるのが楽しくてフィルムは通さなくても、ファインダーを覗いてピント合わせて空シャッター切って一人悦に入って満足していました。
昔から父の書斎は写真の通り「もはやアート」と言ってもいいくらい散らかっていて、リアルに足の踏み場もないけど子どもにとっては探検できるほどの魔窟でした。中学生になったある日、書斎の本棚の奥の奥から1本の長細い望遠レンズを発見するのですが、これがなぜか「PENTAX SP」には装着できないのです。父に尋ねるとそれは「ニコン用だ」という。後で知ったことだが、どうやら父は「Nikon F」という高級プロ機を2台持っていて、子どものオモチャにならないようどこかに隠していたようで、身代わりに「SP」を置いていたんじゃないかと勘ぐっている。高級機とはいえ当時ですでにかなり古かったようだけど、これは後にカメラ屋で強引に当時最新のCanon「EOS650」というカメラに物々交換されて役に立つのではあるが。これが私が中学生で1987年くらいまでの出来事。
高校生になると初めてのオートフォーカスが楽しくてEOSで写真を撮り始めるが、高校生のお小遣い程度ではフィルム代、現像代が高くて満足に写真が撮れない。そこでクラブ活動の試合などの写真を撮り高値で売りつけることで小遣い稼ぎをしていた。今考えるとなかなかアクドイな。。この頃から「写真にかかるお金は写真で稼ぐ」が信条だったのかも。今の時代はデジタルカメラさえ用意すればいくらでも撮って練習できるし実験もできるけど、当時は1本36枚撮って現像に流して2000円くらいは払っていた記憶がある。実験をするのが好きだったので売ってる様々な種類のフィルムを使ってみたり、多重露光や長時間露光などの手法の勉強も好きだった。今にしてみれば「よくそんなに資金が続いたな」と思うが、今でも当時のネガは全部とってあるよ。
高2の時、最初の師匠とも呼ぶべき人に出会う。一緒に屋久島に旅をした人で、今でも神戸へ行った時は必ず立ち寄る喫茶店のマスター。具体的に何を習ったってわけじゃないんだけど、それまで完全に独学で撮ってた私が初めて写真やカメラのことを相談できる人だった。「写真は引き算」って は今でも忘れない。その人の撮った縄文杉の写真は今でも実家に特大サイズのプリントで飾ってあるはず。
とりあえず青春的な出来事は何もないけど青春編はこんなところかなぁ。
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写真家の必要条件

 
中崎町のギャラリー「モノコト」で開催中の作品展「Super Romantic」は明日までの開催となります。まだご覧になっていない方は是非足を運んでみてください。よろしくお願いします。
今回、出展を誘ってくれたのはイラストレーターの井上ミノル氏。直前まで彼女の個展を開催していた縁で誘ってもらったのです。ちなみに他の作家さん達もほとんどがイラストレーターさんで、あとはモビールや雑貨の作家さんがいる感じです。写真は私一人だけなようですね。
しかし、イラストレーターとか絵を描く人って心底尊敬します。だって絵って何もないところから全て自分で創り上げるんですよ。描かれる物から色から構図から全て決めていかなくちゃならないんです。これぞ「クリエイター」って感じですよね。
その点、写真はカメラさえあれば誰だって撮れちゃいます。特に今の時代携帯電話にまでカメラが装着されてますから、この日本に限っていえば「ほぼ全員」がカメラ持ってることになります。これは考えてみれば凄いことですよ。もし写真を撮ることがクリエイトすることなら、全日本人がクリエイターってことになっちゃいます。これは写真を生業としてるものにとっては「一億人が商売敵」状態で心中穏やかではいられません。でもこれは結構冗談ではなくて、写真業界では切実な問題で、例えば今まででレストランのメニュー写真をカメラマンに発注してたのを自分で撮ってプリンターで印刷なんて普通にありますし、子供のスポーツ大会の写真を親が望遠レンズで狙うなんて事はもう常識でしょう。この例で言えば料理写真家、スポーツ写真家の仕事は確実に減ってる事でしょう。ほんの10年前まで、結婚式で写真撮ってたのなんて親戚のカメラ好きのおっちゃんだけだったし、レストランで食事の写真撮るなんて15年前は私くらいしか周りにはいませんでした。それが今では結婚式ではほぼ全員、レストランでも皿が運ばれてくる度そこら中で擬似シャッター音が響き渡ります。デジタルカメラが日進月歩で性能向上している上、写真編集加工技術も日夜新技術が開発されています。つくづく凄い時代だと思います。
ではこれからの時代、プロの写真家って不必要になるのでしょうか? 私はそうは思いません。かつて、カメラが一般家庭に普及しだした事によって衰退した写真館が存在し続けているように、一般の人が不可能な領域まで技術を高めればいいのです。趣味としてのカメラはゴルフと同じく機材に依存する割合は結構高いですが、仕事としての写真は機材だけに依存しない必要があります。私も仕事以外でもけっこう写真は撮りますが、仕事の時は「確実に、必要とされる写真を撮る」という仕事モードにハッキリ切り替わります。つまりこれからの時代は「技術を高め、それなりの機材を用意し、失敗せずに、求められる写真を撮る」という極当たり前の事が求められていくでしょう。
さて、私は驚くほど絵が描けません。同業者には結構上手な人や好きな人も多いようですが、私は幼稚園児と同レベルと認識しています。ゼロからクリエイトできない以上”私でも”撮れる写真にすがるしかありませんので、これからも上記のフォトグラファーとして求められる要件を満たすべく精進して行きたいと思います。
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「Girlyの系譜」

「中崎町」って私の中ではいろんな意味で複雑。正直、両手を挙げて「大好きっ♪」って言う感じではないし、つかず離れずのビミョーな距離感を保って人生のいろんな場面で関わってる気がするなぁ。縁があるのは間違いないけど。
この度、その中崎町にある隠れ家ギャラリー「モノコト」にて開催中の公募展「Super Romantic」に私の写真を出展させていただいております。モノコトさんはまだ新しいギャラリーですが、「あの」中崎町の中でも奥の奥の隠れ家過ぎて見つからない。。というのは冗談ですが、ディープ中崎町の中でも特に昭和の薫りが濃厚な地域に在ります。
実は展は今日から始まっていたんですが、私だけ出遅れた感じで初日の閉館間際に応募してきました。私は写真屋なので当然写真を出したのですが、私以外は主にイラストたまに小物がある様子でした。なんか一番最後に持ってきて一番くらい大きいフレームでちょっと申し訳ない気持ちに。。。しかも入って正面の目立つ場所に展示しようかと言ってくださったので恐縮しきりでした。ホント撮りおろしとかじゃなくて、ありあわせの写真を組んだだけなので雰囲気にそぐわなかったら展示しなくても全然OKですので。
今回の「Super Romantic」のお題は”Girly”だったので、私の作品の題は「系譜」にしました。別に勿体ぶるつもりはありませんが「系譜」をヒントに誰のいつの写真なのか想像してみてください。私の中での「Girlyの系譜」を表したつもりです。
では続きはギャラリーモノコトにて!
※この写真は前回の展示会の時の様子です〜
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「旅」について

「旅」が好きだ。
 
子供の頃から「果敢ニスト」だった私は小学生の時からバスや電車に乗って一人であちこちに出かけた。それがいつしか大人になって「出張」と名前は変わったりしたけど旅に出るのも仕事の一部になってる。
「旅行」じゃないんだよ。「旅」が好きだ。どう違うか?私の拙い言語能力では上手く表現できないが「みんなでワイワイ行き先は温泉や南の島」が旅行で「独りもしくは同行者もう一人くらいと、行き先はアバウトにどっちかって言うと北国や寂れた地方」ぐらいのイメージだろうか。
昔はわりとコダワリが強かったので「全県制覇」や「全線乗り潰し」「全道走破」なんてのを目標に旅してたこともあったけど、無意味な事に気がついたので最近は特に旅に目標を設けなくなった。それは、全〜は目安にはなるけれど所詮、地球上の全叡智を吸収できるわけじゃないのでどちらにしても通過しながら旅人目線で眺めることしかできないと気がついたからだ。
若い頃は中学生の時の「ある」経験から「海外旅行はまだ早い」と思い込んで国内をしらみつぶしに回っていた。それは、私の父親が古風な人間で「自分がそうしてよかったから」という理由だけで「14歳の夏休みに2〜3週間、一人旅をする」という家訓?を作っていた。当時は「ムチャな!」と思っていたので売り言葉に買い言葉で「どうせならうんと遠くの海外に行く!」と言えばさすがに父親も撤回するかと思ったけど、実際は全くそんなことはなく、英語なんて義務教育の1年間しか習っていないただの中学生が一人でカナダに2週間行く事になったのである。そこで学んだことは2つ。「言葉は関係ない」と「日本人の私が日本の事を知らな過ぎる」だった。短絡的な私はその後、多少の英語は勉強したのものの、それより「もっと日本のことを知らなくては」という責務を感じ全国津々浦々を回ろうと決心した。日本の観光親善大使か柳田国男にでもなったつもりで、バブル景気真っ最中の海外旅行全盛時代にそんな事を決心するとは厨二病全開である(笑)お陰で学生時代には47都道府県制覇やJRもほぼ乗り尽くした気はするが、オールアバウト日本を語れるようになるハズもなく、得られたのはどこでも生きていけるという変な自信と何が起きても動じない妙な落ち着きだけかもしれない。しかし、大人になって海外旅行を自分に解禁してみると、あちらの風土、風俗、習慣が面白く感じ、それらを吸収することに夢中になり全権代表(笑)であったことなどすっかり忘れていた。いい黒歴史である。
現在はお陰様で海外への出張もあるような仕事をしているが、ここ関西を中心に活動していても「毎日が違う場所に行き違う人に会う」生活をしている。
極端に言えば毎日が旅なのである。こんな私向きの仕事はないと思っている。
ちなみに自分の子どもに「14歳の旅」をさせるかは現在のところ未定である。
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プロと素人

直前にモデルさんから電話がかかって来て「あ、あのぅ。。体の毛剃った方がいいですか?」だって。かわいいなぁ。
久々のスタジオでのモデル撮影。とは言っても素人だけど。
仕事としてみた場合、プロのモデル撮影はいろんな意味で楽だ。まず、表情やポーズなど指示した通り、もしくは指示しなくても的確に動いてくれて絵になるからだ。次に、肖像権等、権利関係は相手は仕事だからお金で解決できる。そして何より、もちろんそれなりの容姿で見目麗しい。 しかし「いつまでに、どこどこで、こんなシチュエーションで撮影してほしい」という仕事じゃない限りプロのモデルで有る必要はないと個人的には思う。権利の問題さえクリアにしておけば、容姿は好みを選べばいいし、表情やポーズに関してはこちらの指示さえ的確なら問題にならない。気を使わなければならない点はプロのモデルとは異なるが、その素人らしさが「自然さ」につながり写真を見る人に安心感を与えると思っている。そして何より撮影していて楽しいのは圧倒的に素人さんである。
いわゆる「モデル撮影」とは異なるが、ロケなどで一般の人(店長さんや先生、街行く人など)を撮影する事ほど楽しいものはない。知らない人と現場で知り合い、わずかな時間直接コミュニケーションを取り「その人らしさ」を引き出さなければいけないので技量が試され、写真屋冥利につきる。
自分の思い込みで撮影するので、私の勝手なイメージを押し付けることになるのかもしれないが、これこそが「表現」だと思っている。仕事で撮影する以上、クライアントさんの希望にそう写真を撮影するのは当然だ。そこに自分なりの解釈と表現を織り込めた写真は満足のゆく仕事となるのである。
仕事を時間で区切るのをプロと呼ぶならば、現実にはなかなかそこまで満足の一枚は難しいが、プロとしてまた表現者の端くれとして時間の許す限り「私らしさ」を織り込みたいものだ。
「時間と表現のディレンマは常にある」
※「先生」は別だよ〜
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取材お断り

お店を取材してるとよく「他にどんな店が載るの?」とか「近所はどこが載るの?」とか「同じジャンルはどこが載るの?」って聞かれることが多い。掲載誌におけるライバル、競合店や自分の店のポジショニングを確認するのはまあ当然の事かもしれない。 今まで一番過剰?過激な反応だったのは「その店が載ってる本にはうちの店は載せられん」って言われてその場で取材お断りされたことすらある。だから、聞かれても曖昧な答えや無難な店を答えてお茶を濁すことが多い。編集者ならともかく、末端の兵隊である現場のフォトグラファーとしては判断に困るし、その場で仕事を失うことになるからね。 経験上、得てしてこういうお店は「ある程度の老舗で、まあまあ有名で、そこそこ高級なお店」であることが多い。「本当に古く歴史があって、非常に有名で、超高級なお店」は意外と懐の深さを感じさせる対応で、他店のことなど気にしない傾向にある。名声が確立してる状態では例えば雑誌の対向ページのどんな店と比べられても、その名声が揺らぐことはないからだと思われる。 この反応はまた地域性もあると思う。あまり名指しで指定したくないが「某イケズで有名な地域」は特に顕著で、その閉鎖的な地域性からも反映されていると思われる。某新地や某横丁など、狭い地域でしのぎを削り合ってる地域も同じ傾向を感じる。 ところが、この法則が全く当てはまらないのに「その店と隣り合わせで、しかも掲載スペースが小さいのなら取材は断る」と言われたことがある。まあ「ある程度の老舗で、まあまあ有名で、そこそこ高級なお店」というポイントは合っていたが、まさかの地域で機嫌を損ねられて若干焦った。結局は対向店より掲載スペースを大きくするという条件で事無きを得たが、一瞬現場が凍りついたのは言うまでもない。 「あの店と同じ括りで掲載されたくない」という気持ちは分からなくはないが、取材を断るとまで言い切るプライドは見上げたものだと思う。   偉そうに言ったが「まだ10年しかこの業界にいない若造の戯言」だと懐の深さを見せて許してやってほしいなあ。。などと思ってみたり。
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特異日

「仕事の集中する特異日」って絶対ある。今日(本当は昨日なのはナイショです)はその特異日。ロケのお仕事3件(3社)の依頼があって、強引に時間ずらしたり遅刻したりで2件はなんとかなったけど、もう1件は泣く泣くお断りする。 朝から酒造会社での取材の最後に工場の試飲コーナーで超レア酒を購入。わたくし呑めないのにね。工場での売値が一升で1諭吉超えるらしいから、もし店頭で呑んだらドエライことになる。。 15分押しで終わったので名神ぬうわkm/hでかっとび。天王山トンネル抜けた所でタクシーが覆面さんの犠牲になっていたのを「ありがたやありがたや」と拝みながら、なんとか10分遅れで京都に滑りこみ。遅刻してる時点で滑りこんでないけど。   パン屋さんのお兄さんが若いのに珍しく私に興味を持ってくれた様子。今までの経験では私という「特殊人種」に対して、20代は思考に弾力があるのかスルー、30代〜40代前半は「触れてはイケナイんだ」と思い込んで無視、40代後半、50代は一番面白がって絡んでくる、60代には著しく嫌われる、70代以上は理解不可能なようでスルーという原則がある。だから友達は50代ばっかりだ。経験則を覆して仲良くなれたらいいのにね〜 夜は個人的な撮影の事前打合せ。Webページ用の写真集めてて「仕事以外の写真がなさすぎる」と気がついたので、タマには作品でも作ってみようかと。やっぱり仕事の写真は基本的に一般公開しにくいんだよね。Webとなると特に。土曜日の本番が楽しみ♪
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Day trip in 金沢本編

もう2日ほど経ってしまったけど、楽しかった金沢日帰り旅。 一応、金沢って北陸なので今年の豪雪騒動を聞いていたから、すっかり雪国仕様で出かけたのに金沢自体にはほとんど雪もなく若干がっかりする南の国(神戸だけど)育ちの私。       もしかしてnommyさん初登場じゃね? すっかり綺麗になった近江町市場の「ひら井」というお店で豪華な海鮮丼を頂く。鰻や鮑はともかく、生牡蠣のってるのは初めて見た。       カニ爪にすっかり魅了されてるnommyさん。打倒せんとくん。       今回のメインイベント、金沢21世紀美術館。前回来た時はまだフィルムカメラだったの。       美術館って基本、撮影禁止じゃん?でもここだけはOKなので、お約束の「溺れる〜!」       兼六園は閉園していたので噂の金沢駅へ。どんだけハデな駅やねん。。。       という訳で片道4時間は遠いので2泊ぐらいで周辺の温泉宿に泊まりながら観光するのが正解だと思われます。雪の残ってるうちに、今度は山陰へもう一回ぐらい旅行に行きたいなぁ。。。
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