カメヒス青春編

昨日の駄文で「絵が描けない」と言いましたが、小学校低学年の時からそのことは自認していて絵がヘタクソで恥ずかしい→絵を描くことを避ける→描かなくなるので余計にヘタクソにというループだったです。その代わりに?私の実家にはカメラが何台かありました。祖父が進駐軍から買ったというドイツ製の骨董カメラや父が業務上(カメラマンじゃないよ)かつて使っていた一眼レフなど。機械好きだった私はフィルムが入ってない一眼レフでよく遊んでたので、今日はちょっと私の個人的なカメラのヒストリーとカメラマニア的な話も。完全に個人的な思い出記録駄文なので無視してくださいな。
祖父の骨董カメラはともかく父の一眼レフは「PENTAX SP」といういわゆる大衆機でボロかったこともあり、小学生だった私が遊んでいても特に咎められることもなくいいオモチャでした。カメラのレンズを交換することによって一台のカメラがいろんな使い方ができるのが楽しくてフィルムは通さなくても、ファインダーを覗いてピント合わせて空シャッター切って一人悦に入って満足していました。
昔から父の書斎は写真の通り「もはやアート」と言ってもいいくらい散らかっていて、リアルに足の踏み場もないけど子どもにとっては探検できるほどの魔窟でした。中学生になったある日、書斎の本棚の奥の奥から1本の長細い望遠レンズを発見するのですが、これがなぜか「PENTAX SP」には装着できないのです。父に尋ねるとそれは「ニコン用だ」という。後で知ったことだが、どうやら父は「Nikon F」という高級プロ機を2台持っていて、子どものオモチャにならないようどこかに隠していたようで、身代わりに「SP」を置いていたんじゃないかと勘ぐっている。高級機とはいえ当時ですでにかなり古かったようだけど、これは後にカメラ屋で強引に当時最新のCanon「EOS650」というカメラに物々交換されて役に立つのではあるが。これが私が中学生で1987年くらいまでの出来事。
高校生になると初めてのオートフォーカスが楽しくてEOSで写真を撮り始めるが、高校生のお小遣い程度ではフィルム代、現像代が高くて満足に写真が撮れない。そこでクラブ活動の試合などの写真を撮り高値で売りつけることで小遣い稼ぎをしていた。今考えるとなかなかアクドイな。。この頃から「写真にかかるお金は写真で稼ぐ」が信条だったのかも。今の時代はデジタルカメラさえ用意すればいくらでも撮って練習できるし実験もできるけど、当時は1本36枚撮って現像に流して2000円くらいは払っていた記憶がある。実験をするのが好きだったので売ってる様々な種類のフィルムを使ってみたり、多重露光や長時間露光などの手法の勉強も好きだった。今にしてみれば「よくそんなに資金が続いたな」と思うが、今でも当時のネガは全部とってあるよ。
高2の時、最初の師匠とも呼ぶべき人に出会う。一緒に屋久島に旅をした人で、今でも神戸へ行った時は必ず立ち寄る喫茶店のマスター。具体的に何を習ったってわけじゃないんだけど、それまで完全に独学で撮ってた私が初めて写真やカメラのことを相談できる人だった。「写真は引き算」って は今でも忘れない。その人の撮った縄文杉の写真は今でも実家に特大サイズのプリントで飾ってあるはず。
とりあえず青春的な出来事は何もないけど青春編はこんなところかなぁ。
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