関西にいるとまるで他人ごとのような感覚すらある「東北地方太平洋沖地震」
どうも東京を中心とした関東中心部の被害者意識が暴走してる感がある「東日本大震災」
呼び方はどうでもいいが、あの「3.11」からもう一年経ったのですよ。
亡くなった多数の方々にはお悔やみ申しあげます。そして佐藤さんを含む幾多の亡くなった個人的な知り合いの方々にも。。
個人的には宮城県を中心とした東北地方には縁が深い。母親が宮城県出身で、祖母の元へと毎年必ず里帰りをしていた。活け花の指導をしていた祖母が私が中学生の時に亡くなった後も、知り合いや生徒さん、親戚を頼って毎年のように旅行で通っていた。その中で育まれた気持ちがあったのか「東方に住みたい」という気持ちが芽生え、大学受験で東北地方の大学を受験(受け入れてはくれませんでしたが)したりもした。学生時代も青春18切符やレンタカーを使って、私の愛す宮城から岩手の三陸リアス式海岸の文字通り「津々浦々」巡っては足しげく通い移住の地を探していた。極めつけは、大阪で社会人になって数年経ってからある日の新聞で過疎の宮城県の沿岸部の某郡部が「居住者を募集している」というコラム的な記事を見つけて、居ても立ってもいられず何の情報もないまま翌週には飛行機で現地に赴いたことがあった。その記事は過疎に悩む地方自治体が土地を無料で分譲するというものだったのだが、土地は無料でも家を建てる融資を受けなければならず、さらにそのためには現地で仕事を探さねばならず、銀行の融資係や現地企業就職の面接も受けたが、結局「実現不可能」との結論に達し断念せざるを得なかった。果敢ニストにもほどがあるが、もう10年も前の話である。
うちの家には数年前からテレビがないのでニュースは専らインターネット経由である。大地震後、NHK及び民放各社もUstream等のネットを通じての配信に理解を示したこともあり、リアルタイムで被災地の惨状を目にすることになった。知った土地がたくさん映り、昔巡った津々浦々の惨禍が伝えられた。なぜか涙は流れなかったが今でも関連動画を見ると動悸が早くなり、逆に私が今生きていることの実感が湧いてくる。
「もし」はないが、あの時仕事が見つかり融資が受けられ移住していたら、私は地震と津波の犠牲になっていた可能性は高い。現にその郡部は津波の被害が甚大で多数の人が亡くなったとの報道があった。私は生きなければいけないな。